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福島盆地から山越えて

福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。        takakan

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美術館・図書館の紅葉

福島県立美術館・図書館の紅葉(2009年11月14日)
雨上がりでもあり、あまりにも綺麗です。

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紅葉の磐梯吾妻スカイライン

紅葉の磐梯吾妻スカイライン 今年(2009.10.12(月)体育の日)の紅葉情報です
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頂上付近は今日が見頃です。写真より実景は色鮮やかで感動ものです。
午後2:00頃下山しましたが、浄土平駐車場~不動沢橋1㎞手前まで、不動沢駐車場の混雑~料金所手前まで大渋滞でした。

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福島ライブミュージックウォークラリー

FUKUSHIMA LIVE MUSIC WALK RALLY    2009.10.3
福島中心街のライブハウス、BARなどで行われたMUSICフェスティバル。10/3、4の2日間開催されました。
(第一日目のみ参加しました)
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NEGA US Four & More
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トゥナイト21 アル謙バンド


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CLEAR 大森真 Swingin’Easily
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CLEAR Blow Monkey Big Band


客はライブ参加全店共通のチケットを購入(1日券1,000円、2日券1,500円)、好きな店にライブを聴きに行くことが出来ます。
---店では1ドリンク注文が義務でしたが、ほとんどが缶ビール(500円)onlyだったのが残念でしたが。---
---それと、人気ライブは会場が小さいため何処もいっぱいで入れない状態でした。これも残念。---
あまり飲み歩かない私にとって、福島市内にこんなにライブハウスがあるとは驚きでした。

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福島市役所 新庁舎

2009年9月4日16:30の福島市役所新庁舎建設現場と巨大クレーン
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あづま運動公園 

あづま運動公園 せせらぎ さくらの広場
我が家の一番近い散歩コース。大駐車場の奥にあって広くてとても心地よく散歩ができます。
標高が少し高いせいか、吾妻下ろしの風のせいか体感気温は低く感じられます。

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誰もいない手入れされた芝生があると、禁止されているゴルファーの気持ちも少しわかるような...
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中野不動尊 (福島市飯坂町中野)

中野不動尊 (中野不動尊福島県福島市飯坂町中野堰坂28TEL 024-542-2100)
初詣には何度か訪れますが、夏は初めてでした。趣がまた違います。

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約830年前の治承3年(1179年)恵明道人が中野の山中に入山して開かれたといわれている。
境内には厄除・眼守・三ヶ月の三不動明王が祀られており、日本における六三除けの祈祷発祥の地といわれている。
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小浜城址 (二本松市旧岩代町)

小浜城址 (二本松市旧岩代町)
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-案内説明-
 小浜城は伊達政宗の会津侵攻の拠点として天正13年(1585)年から翌年にかけて居城したことで知られる。南方小浜川の谷間を隔てて上館と呼ばれる宮森城があり、小浜城は下館と呼ばれ、両城の間に集落があって、一体化した構えであった。政宗在城中に父輝宗は宮森城にあって、二本松城主畠山義継によって有名な粟ノ須の変事が起った。
 小浜城の成立は奥州探題の置かれた塩松(四本松)城の支城として南北朝争乱期に創築。室町時代には大内定綱の居城となっていた。政宗は白石若狭を城代とし、天正18年以降は若松城の支城として蒲生氏が入った。
 現在、城址には蒲生氏時代の石垣が残るほか、堀切、空堀が多くの曲輪跡が認められ、戦国末期の東北地方屈指の大城郭である昭和56年に発掘調査がなされ、桁行4間・梁行8間の大型建物をはじめ5棟分の庇付建物の跡が見つかっている。左のイラストレーションはこの発掘結果と一連の調査の結果にもとづき、日本城郭資料館長 西ヶ谷恭弘氏が復原したものである。

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大波城址 (福島市大波)

大波城址 (福島市大波)
-案内説明-
 大波民部具成の居城。北畠顕家に従え吉野朝廷に仕えた大忠臣大波氏代々の拠れる城。
 北畠顕家戦死後、弟顕信陸奥内鎮守府大将軍となり、後醍醐天皇の御孫:守永親王を奉じて国政と軍政を執っておったが、正平7年3月足利軍に多賀国府が
包囲攻撃され同月15日国府陥る。顕信郷守永親王は刈田郡三沢城に逃られたので(今より630年前)正平7年3月17日大波城に守永親王と北畠顕信郷を迎えて守護した由緒の城である。
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西念塚の大ケヤキ (伊達市川原町)

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伊達市川原町91諏訪神社内
 当時の摺上川は毎年氾濫し、部落民は困窮を極めた。度重なる洪水から里人を救うため、寛文8年(1668年)4月8日、自らが堤防の人柱となって洪水をくいとめようと捨身入定した西念上人(田町にあった東光時住職)の碑が、この西念塚である。また弟子浄心が残した文書及び大ケヤキをも合せて、町文化財として一括指定している。
 大ケヤキは、幹の太さ等から樹齢約三百年といわれ、供養のために里人達によって植えられたものと思われる。昭和五十八年三月には、県の緑の文化財として登録された。
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大けやきは、樹の高さ32m、幹回り4.7m。

黒岩虚空蔵尊と満願寺

黒岩虚空蔵尊・満願寺
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