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福島盆地から山越えて

福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。        takakan

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牡丹園の紅葉2016

毎度お馴染み「牡丹園」の紅葉

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棚倉城址の紅葉

2011年11月5日
紅葉の棚倉城も趣があるが、桜の城がすばらしいと思います。今年の紅葉狩りも見納めですか...

二代将軍徳川秀忠は、丹羽五郎左衛門長重に命じて、棚倉に平城を築かせた。
長重は案を練り、この地にあった近津神社の神橋境を最適地とし、宮を現在の馬場都々古和気神社に移し、寛永2年、この地の築城をはじめた。
寛永4年、長重は白河に移されたが、代わって滋賀県近江山城より内藤豊前守信照が城主となった。阿部美作守正静の代になり、戊辰戦争の兵火にかかり、慶応4年6月24日落城した。この間250年、城主の代わること16代であった。  -棚倉町・棚倉町観光協会-
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この大ケヤキは、寛永二年(1624年)丹羽五郎左エ門長正公が築城する以前からこの地に存在したといわれ、近津明神の社木であり、樹齢は600年達するものと推定されています。この大ケヤキは県内でもまれに見るケヤキの大木で有り、その風格においては右にでるものはありません。
 根回りは13メートル、二個の瘤のある周囲は9.5メートルであり、樹高は32.3メートルです。
なお、町では先人が育んできた歴史の生き証人である大ケヤキを永く後世に継承するため、樹木の保護及び生育環境を整備するとともに、景観にも配慮した交差点の改良工事を平成14年度に施工いたしました。
 -棚倉町-


蕎麦美人 (石川町)

蕎麦美人
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野菜天ざる1,050円+大盛り250円、そば粉は会津坂下から取り寄せだそうです。
喉ごし抜群の更科そば。本わさびをおろして、まず何もつけずに水蕎麦で、実においしいです。

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小峰城 (白河市)

小峰城 白河市
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小峰城は別名「白河城」と呼ばれ、築城は、南北朝時代の1340年(南朝:興国元年、北朝:暦応3年)に、結城親朝が小峰ヶ岡に築城して
小峰城と名づけたのが始まりとされています。 城主の白河結城氏が、豊臣秀吉の小田原の陣へ参陣しなかった事から奥州仕置により
改易させられ、その後は会津領となって、蒲生氏や上杉氏が城代を置き支配しました。本丸には三重櫓をはじめ櫓門などの建物を配し、
会津若松市の鶴ヶ城などとともに日本100名城にも選定されています。
幕末の戊辰戦争の時には
奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激戦地となり多くの建物が消失し、現在のものは、1991年に復元されました。

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都都古別神社 (棚倉町)

都々古別(和氣)神社(つつこわけじんじゃ)  2009年4月7日
味秬高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)を主祭神とし、大和武尊(ヤマトタケルノミコト)を配祀し、延喜式神名帳で名神大社として記載される古社で、陸奥国一宮とされている。
案内板を見て”なぜここには都々古別神社という2神社があるのか”不思議に思って社務所に伺いました。
馬場の都都古和気神社を上之宮、八槻の都都古別神社を中之宮、茨城県大子町下野宮の近津神社を下之宮としていたのですが、明治6年に、馬場の近津明神が延喜式明神大社の都都古和気神社とされて國幣中社に列せられた時、八槻の近津明神が抗議し、当社こそが「式内社」であり、奥州一宮で、國幣中社に相応しいとの論争が起こり、結果明治18年に両社並立という措置によって國幣中社となったそうです。このような神社を「論社」と言うんだそうです。
社殿の造り、配置もそっくり同じに作られているそうです。見比べてみて下さい。

ちなみに、一宮(いちのみや)とは、

平安時代から中世にかけて行われた社格の一種で、諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力を有することによって、神社の階級的順序が生じ、その首位にあるものが一宮と称し、順次二宮、三宮、四宮等順位を付けていったそうです。

馬場都都古別神社(ばばつつこわきじんじゃ)
福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39

                      随神門
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     拝殿                             本殿
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八槻都都古別神社(やつきつつこわきじんじゃ)
福島県白川郡棚倉町大字八槻字大宮224

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棚倉城跡の大ケヤキ

棚倉城跡の大ケヤキ
内堀のほとり、追手門から本丸に至る道筋に立っている。

樹高:32m、目通り幹囲:9.5m、推定樹齢:600年、福島県指定天然記念物(1976年5月4日指定)
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〔つづきはこちら〕

赤舘城趾 (棚倉町)

赤舘城趾公園
2009年4月7日
関ヶ原の戦いの後、立花宗茂が移封され鹿子山の赤舘に城を構えた。
丹羽長重が1624年(寛永元年)二代将軍徳川秀忠の命により亀ケ城(棚倉城)を築城した。
棚倉町内が一望のもとに見渡すことができる。

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棚倉城趾 (亀ヶ城址)

桜の開花情報
棚倉城趾の桜

2009年4月7日撮影
咲き始めでした。(4月18日、19日に十万石棚倉城まつり)

1622年(元和元年)、常陸国古渡から移封された丹羽長重が、1624年(寛永元年)に近津明神(都々古別神社)を遷宮し、
1627年(寛永4年)その跡地に
棚倉城の築城し、戊辰戦争で落城するまで241年続いた。別名「亀ヶ城」ともいわれる。
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〔つづきはこちら〕

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