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福島盆地から山越えて

福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。        takakan

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達沢不動滝 (猪苗代町)

達沢不動滝
猪苗代町の中ノ沢温泉から南東方面へ3kmほど行くと達沢集落を抜け、さらに不動川沿いに伸びる林道(巾員4mほどの砂利道)を奥へ奥へ1~2kmほど上流へ入ると、突き当たりに達沢不動滝入口(駐車場)に到着します。林間の参道を約5分歩くと正面に男滝が、左側に女滝があります。達沢不動滝は「ふくしまの水30選」に選ばれている清流です。   熊出没注意地区です。念のため
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http://happyisland.blog.shinobi.jp/Entry/180   袋田の滝 part2
http://happyisland.blog.shinobi.jp/Entry/10/   袋田の滝 part1
http://happyisland.blog.shinobi.jp/Entry/15/   蔵王:三階の滝

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おおほり (猪苗代町)

おおほり (蕎麦の里猪苗代町
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昔ながらの民家(農家)の座敷で十割蕎麦が味わえる。写真は盛蕎麦680円+210円大盛り。喉ごしが良くおいしい。冷房が無いので夏場はやや暑い。猪苗代町中の県道「猪苗代塩川線」沿いにある「おおほり」は暖簾分けの弟子の店だそうである。

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駅舎亭 (猪苗代町)

駅舎亭 (蕎麦の里猪苗代町) 2010.9.1 現在は、蕎麦処として営業しているが、"本日休業"で食せなかった。
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 旧国鉄翁島駅舎は、有栖川親王殿下が町内長浜地区に、御別邸(天鏡閣-現在重要文化財)が完成された明治41年に建設されました。
 ここに整備した駅舎は、大正11年5月に3代目として建築され、大正13年に改築されたもので昭和58年国鉄合理化により地元保存会
(433戸)が譲り受け猪苗代町で復元したものです。
 この駅舎は大正13年東宮・同妃両殿下(現陛下)がご成婚後初めての御旅行においでになり、天鏡閣に25日間御滞在の際に御利用に
なるなど、公式・非公式に数度おいでになり御休息・御乗降なされました。また、伏見宮殿下・高松宮殿下・加藤高明総理大臣や閣僚が、
幾度となく御利用になるなど、由緒ある駅舎です。
 建物の形状は、木造平屋建銅板葺(もとはスレート葺)・本屋桁行21m、梁間6.7m、平面積154㎡、ホーム上屋を含む吹き放ち下屋部
分約160㎡、東側に来訪客の乗降に備えた貴賓室28㎡が組み入れられ、急勾配の屋根と正面に飾られたペテイメントや屋根窓など、い
ずれもルネッサンス様式で建造され、我が国の鉄道史や駅舎建築に歴史を示す遺構として、重要なものであります。    -猪苗代町-

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会津縦貫道路

会津縦貫道路 湯川北IC~塩川IC 2010.8.27
塩川インターチェンジから湯川北インターチェンジまで約3㎞の暫定開通(無料)。
あっという間の走行でしたが、左手に夏空に映える磐梯山が綺麗でした。
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日中線記念館 (旧熱塩駅)

国鉄『日中線』熱塩駅 2010.8.10
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国鉄日中線は、栃木県今市市と山形県米沢市を結ぶ東北縦断鉄道、野岩羽線の夢をかけて四十六年間地域の交通機関として、
教育文化及び経済の発展に重要な役割を果たしてきました。
野岩羽線の名称は、昔の下野(栃木県)岩代(福島県)及び羽前の国(山形県)をつなぐ鉄道ということから命名されました。
この鉄道建設運動は明治25年頃より始まり、先人のたゆまない努力は遂に実り昭和11年1月喜多方と熱塩間11.6キロメートルが
日中線として着工され、建設費72万円余を費やし昭和13年8月18日住民の歓喜の声に迎えられ開通、さらに米沢まで計画されま
したが支那事変の激化、太平洋戦争の開戦から自然中止となり、戦後再び建設運動が続けられたが、交通体系及び社会的情勢
の変化から日中線は、昭和56年9月18日国鉄再建法に基づく第一次特定地方交通線に指定となり、昭和59年3月31日廃止とな
りました。

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亀ヶ城址 (猪苗代町)

猪苗代城址 (別名亀ヶ城) 2010.3.29
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野口英世の想いで--清作ら子供たちが遊び場にした猪苗代城(亀ヶ城)--
奥州征伐の論功行賞によって会津の地を与えられた佐原氏の一族である猪苗代城氏の居城でしたが、江戸時代には
若松城(鶴ヶ城)の出城ともなっていました。この城は清作が通っていた猪苗代尋常高等小学校のすぐ近くでしたので
子供たちの遊び場になっていました。上の二ノ郭にはアメリカから寄贈された野口英世の像があります。
                                                  野口英世博士生誕のふるさとづくり推進委員会

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一本木稲荷神社 (会津若松市)

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"ふとしたもの"シリーズ
会津若松市神指町中四合字権現堰地内、湯川の辺にある『一本木稲荷神社』
小さな祠があるだけだが、"一本木"の大木は何処にもない。
「権現堰」の地名の由来となったものか?
後で調べます。
地図には、大きな文字で表示されているのですが、誰もネット解説していません。?????
10月の入院以来、初めて高速道路にのってみました。少しばかり不安がありましたが。

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ものの本によると、神指(こうざし)の由来は、昔融大臣に仕えていた秦某がこの地に来て、山王権現に定住の地を請うたところ、北の林の中に異香樹があるのでそこを開けと夢告があったため香指と称し、のちに神指と書くようになったという(新編会津風土記)とあった。

2009年 中津川渓谷

中津川渓谷 今年(2009年10月18日)の紅葉情報です。
色づきが微妙にもう少しです。あと、2・3日か...      (去年の記事)
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レストハウス駐車場に8時少し前に到着。駐車場には普通車10台程度。11:00に帰る頃には駐車場がいっぱいになりましたが、道路までの渋滞は無かったです。去年より出足が遅いようですね。

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別れの一本杉 (会津坂下町)

別れの一本杉
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会津坂下町が生んだ演歌歌手「春日八郎」の代表作「別れの一本杉」昭和30年12月にリリースされ50万枚をセールス。
記念館と歌碑がある。歌碑の前に立つと、人感センサーが働き同曲が流れる。
泣けた泣けた堪えきれずに泣けたっけ、あの娘と別れた哀しさに、山のカケスも啼いていた、一本杉の石の地蔵さんのよ~村はずれ
それが何と3番まで全フレーズが大音量で流れる。近所では「迷惑だ」とささやかれているそうだ。
名曲とはいえ、静かな田園風景に同じ曲を一日中聴かされる住民、我が身に置き換えるとゾッと...

ばんげ秋まつり (会津坂下町)

2009年9月13日(12:00~15:00)
会津坂下町の鎮守「諏訪神社」の秋の例大祭。約600年の歴史を持つと言われている。

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