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福島盆地から山越えて

福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。        takakan

観音沼の紅葉(下郷町)

  2015年10月17日


 
http://happyisland.blog.shinobi.jp/Entry/365/   2014年10月25日の観音沼

 http://happyisland.blog.shinobi.jp/Entry/246/   2011年10月29日の観音沼
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弘前城

重要文化財「弘前城」


史跡 津軽氏城跡「弘前城」昭和27年3月29日史跡指定
弘前城は、津軽藩主代々の居城で慶長十六年(1611)に二代藩主津軽信枚によって築かれた城である。 面積約492,000㎡(約14万9千坪)を有し、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭よりなり、三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。 現在城跡には、天守閣をはじめ隅櫓三棟、城門五棟の建造物が残されおり、いずれも重要文化財に指定されている。
天守閣は、石垣修復のため曳家工法により仮設土台まで移動中であり、人力曳家の体験が行われている。
755.5+426.0㎞

田んぼアート(青森県田舎舘村)

田舎舘村役場前(第1会場)と道の駅(第2会場)
   
 
10/2朝の情報番組で全国道の駅№1に選ばれました。emoji

黒石「こみせ」通り

青森県黒石市中町にある、「こみせ(アーケード)」
    
中町の「こみせ」
 黒石市中町地区の「こみせ」は、藩政時代に考案された木造のアーケード。歩行者は、冬の吹雪や夏の日照りなどを避けながら、買い物も出来る。 四季を通して開放されているが、柱の痕跡によると、本来は「蔀(しとみ)戸」が入っていたとみられる。 黒石は、明暦二年(1656年)に、黒石藩祖信英(のぶふさ)公が津軽藩から分知されて以来330年余にわたり城下町として栄えてきた。 とくに青森方面へ通ずる街道の要衝であった中町は、造り酒屋や呉服屋などが軒を並べ、前町・横町とともに商店街の中核を成していた。 「こみせ」を主体とした「伝統的建造物群」は、全国でも唯一で、この中の「高橋家」は、「国指定重要文化財」である。       昭和61年9月 黒石こみせ祭実行委員会

黒石B級グルメ「つゆ焼きそば」すずのや

 

まずは普通の焼きそばで、つゆ+ウスターソース+一味唐辛子で2度美味しい

じぇじぇじぇ(あまちゃんの里)

小袖海岸(北限海女の里)
           
三陸鉄道北リアス線堀内駅(にせ袖が浜駅
三陸鉄道堀内駅は、普代村の北にある無人駅です。高台にあるホームからは太平洋が一望でき、駅の左手には太平洋に向かって伸びる三崎半島と、通称「岬の巨人」が見えます。駅の南北には三陸鉄道随一の絶景ポイント「大沢橋梁」安家川橋梁」もあります。また、平成25年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地としても知られ、ドラマでは主人公アキの親友ユイちゃんがトンネルに向かって「アイドルになりたーい」と叫ぶ場面や、安部しゃんの旅立ちの場面、夏ばっぱが大漁旗を振って主人公アキを見送る場面なども登場しました。

鵜の巣断崖(三陸海岸)

駐車場から歩く事10分、これぞリアス式海岸の絶景。柵の外が踏み固められているので柵越え(違反)直下が200m越の断崖絶壁に近づけず(近づいてはいけない)足が竦みました。

真木沢海岸にある手堀りの隧道に入るのが今旅の目的だった。準備万端で望んだが高波で危険すぎて近づけなかった。残念でした。北方の机浜ももっと波高く断念。

 

サントリー美術館・展

郡山市立美術館で行われている「サントリー美術館所蔵品展」夢とあこがれの形
~10月18日まで
さすが、サントリー美術館の作品です。一見あれ。

新所蔵品、郡山市出身「佐藤潤四郎」がデザインしたスーパーニッカ手吹きボト

蔵王

蔵王エコーラインは通行可能となったが、お釜は火口周辺規制がかかり近づけない。
そのかわり、ロープウエイ・蔵王ハイラインは無料開放されている。涼を求めて。

上山城 (山形県)


かつて「羽州の名城」と称えられた上山城。幕命により取り壊されてから290年ぶりに郷土資料館として再建された。かみのやま市街地には5箇所足湯があり、また5箇所の共同浴場は源泉掛け流しで料金150円と格安、難点は源泉が68℃と熱めのためモチロン湯船内も熱い!
 

土湯温泉・聖徳太子堂


   聖徳太子堂    モアイ像    旧参道         松根油釜       薬師こけし堂
このお堂の由来は、人皇第三十四代推古天皇十二年の御代(西暦六〇四年)に、聖徳皇太子が仏教興隆のため、諸国六十四州に国府寺御造立の御本願をもって、近臣等を諸国に派遣されこの東国には泰川勝に命じられ御自作の御尊像をお授けになって遣わされましたが、泰川勝大願成就半ばにして半身痺れの病気にかかり苦しんでいる時に、この御尊像が夢枕に立たれて「信夫郡土湯という所に温泉あり、ここにて湯治せよ病癒ゆべし」とお告げになられたので、泰川勝はこの土地を訪ね、温泉を掘って入浴したところ名湯の効能は著しく、日を重ね月を経て病気も全快いたし、やがてこの地を出立されようとしたときに、霊夢ふたたび現われて「我はこの地に留りて諸人の病悩苦難を救わん」と告げられましたので、ここに聖徳太子の御尊像をお祀りいたしたものと伝えられております。

現在の御堂は、享保十一年八月(西暦一七二七年)の再建によるもので、安産、育児、学問、また諸職の守護神として尊崇され、毎年旧正月二一日、二二日の両日にわたって祭典(太子講)が厳修されております。土湯山興徳寺・土湯温泉観光協会

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