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福島盆地から山越えて

福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。        takakan

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蚕養国神社

蠶養國神社(こがいくにじんじゃ)会津若松市蚕養町2-1
町名になっているので、気になっていましたが、時間が空いたので行ってみました。桜の古木(樹齢1000年以上)が御神木としてまつられていました。會津のこがい様とよばれて養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されている。
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峰張ザクラは、推定樹齢1000年以上で、蚕養国神社の御神木となっている。蚕養国神社は、市内の古三社の一つで保食神、天照大御神、稚産霊神を祀ってあるが、縁起によると、弘仁2年(811)に鎮座。寛弘7年(1010)県令石部少将道秀、堂家在京太夫憲昭等が尽力して社殿を創設したときに、このサクラが植えられたと伝えられている。大正9年8月、大正天皇の后、貞明皇后が当社を参詣の際に峰張ザクラに関心をよせられ、穂木を採取、皇居紅葉山にある御養蚕所の近くに植樹されている。樹高:14m、胸高幹周5.74m、根元幹周8.1m   平成12年6月 会津若松市教育委員会

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-由来-
当神社は、日本一社にして、延喜式神明帳に、陸奥国一百座の一つである。五十二代嵯峨天皇の御代弘仁二年(811年)鎮座にて、五十四代仁明天皇承和年中に、陸奥・出羽・両国の按察使兼鎮守府将軍藤原富士麿朝臣の奏にて、官社に列せられ、醍醐天皇の御代延喜式選定の折、式内の社となる。一条天皇寛弘七年(1011年)に、県令石部少将道秀・堂家左京太夫憲照・石塚丹後頼春等により、社殿を草創す。その時の神官を、蚕養蔵人という。その後、兵火のため社殿炎上し神籬の境内であったが、保科正之侯が、官工、鷹谷弥十郎宗清に命じ、社殿以下を造営し、社領20石を寄付、櫻町天皇寛保三年(1743年)には、正一位の極階に進まれた。文化四年、社殿焼失し、文政二年(1819年)松平容敬朝臣・社殿以下を正之侯創立に写し造営、今日に至る。 

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