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福島盆地から山越えて

福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。        takakan

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春の稚児舞台

春真っ盛りの稚児舞台 (2009.4.16)
稚児舞台悲話

 今から950年ほど前、この阿武隈川を挟んで、八幡太郎義家(源頼家)は島山に、安部貞任は児子山に陣を敷き、壮絶な弓矢の戦いを数十日も続けていました。そんなある日、源氏の兵が「京の都では稚児でさえも舞を舞うのだ。田舎者のお前らにはそれもできまいに。」と大声で対岸の岩の上から挑発しました。
 これを聞いて怒った貞任は、わが子ふたりに稚児の姿をさせ岩の上で舞を舞わせたのです。
 春風の運ぶ雅楽の調べに乗せて天女のように舞う二人の姿に敵、味方の区別なくやんやの拍手が鳴り響きました。しかし、ふたりの娘は、敵に生き恥をさらしたと相次いで断崖から淵に身を投じました。
 義家はこの様子を見て不憫に思い、ふたりの稚児の塚を築きました。この二人の稚児が舞った岩を今でも「稚児舞台」と呼んでいます。
                              『あだち野のむかし物語』安達地方新しい旅実行委員会
機織御前姫と亀石
 この川向の島山に機織りのたいそう上手な機織御前姫が住んでおりました。この姫は大きな亀の背中に乗って川を越え、児子山で遊ぶのが大好きでした。
ある日、田地ヶ岡(二本松)の城主の子、安達次郎武時が児子山に遊びに来て大亀に乗った美女を見初め、城に連れ帰り妻としました。やがて女の子も生まれ幸せな日々を過ごしておりました。
 そんなある日、突然妻は、「わたしは、人間ではありません。天女なのです。天に帰らなければなりません。」というやいなや空高く飛び去ってしまいました。
悲しむ天女の稚児を見て乳母は、児子山の岩場の舞台で舞を舞わせながら母の帰りを待っていました。すると、いきなり天女が舞い降り、稚児を抱えて空高く飛び去ってしまいました。
 この流れに、頭を出す岩が御前姫ののった亀の化身と言われています。
                              『あだち野のむかし物語』安達地方新しい旅実行委員会

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ユキヤナギを別名稚児桜と言うようです。一本の木に白と桃色の花をつけていました。

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