福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。 takakan
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FUKUSHIMA LIVE MUSIC WALK RALLY 2009.10.3
福島中心街のライブハウス、BARなどで行われたMUSICフェスティバル。10/3、4の2日間開催されました。
(第一日目のみ参加しました)
NEGA US Four & More
トゥナイト21 アル謙バンド
CLEAR 大森真 Swingin’Easily
CLEAR Blow Monkey Big Band
客はライブ参加全店共通のチケットを購入(1日券1,000円、2日券1,500円)、好きな店にライブを聴きに行くことが出来ます。
---店では1ドリンク注文が義務でしたが、ほとんどが缶ビール(500円)onlyだったのが残念でしたが。---
---それと、人気ライブは会場が小さいため何処もいっぱいで入れない状態でした。これも残念。---
あまり飲み歩かない私にとって、福島市内にこんなにライブハウスがあるとは驚きでした。
小浜城址 (二本松市旧岩代町)
-案内説明-
小浜城は伊達政宗の会津侵攻の拠点として天正13年(1585)年から翌年にかけて居城したことで知られる。南方小浜川の谷間を隔てて上館と呼ばれる宮森城があり、小浜城は下館と呼ばれ、両城の間に集落があって、一体化した構えであった。政宗在城中に父輝宗は宮森城にあって、二本松城主畠山義継によって有名な粟ノ須の変事が起った。
小浜城の成立は奥州探題の置かれた塩松(四本松)城の支城として南北朝争乱期に創築。室町時代には大内定綱の居城となっていた。政宗は白石若狭を城代とし、天正18年以降は若松城の支城として蒲生氏が入った。
現在、城址には蒲生氏時代の石垣が残るほか、堀切、空堀が多くの曲輪跡が認められ、戦国末期の東北地方屈指の大城郭である昭和56年に発掘調査がなされ、桁行4間・梁行8間の大型建物をはじめ5棟分の庇付建物の跡が見つかっている。左のイラストレーションはこの発掘結果と一連の調査の結果にもとづき、日本城郭資料館長 西ヶ谷恭弘氏が復原したものである。