福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。 takakan
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聖徳太子堂 モアイ像 旧参道 松根油釜 薬師こけし堂
このお堂の由来は、人皇第三十四代推古天皇十二年の御代(西暦六〇四年)に、聖徳皇太子が仏教興隆のため、諸国六十四州に国府寺御造立の御本願をもって、近臣等を諸国に派遣されこの東国には泰川勝に命じられ御自作の御尊像をお授けになって遣わされましたが、泰川勝大願成就半ばにして半身痺れの病気にかかり苦しんでいる時に、この御尊像が夢枕に立たれて「信夫郡土湯という所に温泉あり、ここにて湯治せよ病癒ゆべし」とお告げになられたので、泰川勝はこの土地を訪ね、温泉を掘って入浴したところ名湯の効能は著しく、日を重ね月を経て病気も全快いたし、やがてこの地を出立されようとしたときに、霊夢ふたたび現われて「我はこの地に留りて諸人の病悩苦難を救わん」と告げられましたので、ここに聖徳太子の御尊像をお祀りいたしたものと伝えられております。
現在の御堂は、享保十一年八月(西暦一七二七年)の再建によるもので、安産、育児、学問、また諸職の守護神として尊崇され、毎年旧正月二一日、二二日の両日にわたって祭典(太子講)が厳修されております。土湯山興徳寺・土湯温泉観光協会
『万燈桜』の由来について
道の駅『安達』より北方約500m(福島市寄り)の所に白畑遺跡がある。室町時代(十五世紀)に佐久間新田の旭長者が白畑(観音山)に、七間四面のお堂を建立し、旭十一面漢音を安置して崇拝していた。縁起文や地元の伝承によれば、近年まで多数の壇が両遺跡に連続して存在したという。このお堂には白畑遺跡から堀込遺跡まで東西約200m・南北約500mの広大な境内があったと考えられる。二本松市米沢観音堂部落の『旭十一面観音像』は、その昔旭長者が白畑(観音山)に安置して崇拝していた観音像だと伝えられている。米沢観音堂の『旭十一面観音縁起』には「下川崎村佐久間新田の堂場という所に旭長者これあり、その長者七間四面のお堂をたてあがめ申す。壇の一万つき上げ灯明を一万とほし候ゆへ、万灯の長者と名付けたり」と誌されている。この縁起文から白畑・堀込量遺跡は白畑の観音堂境内と考えられ、前記の『桜の巨木』はその一隅にあることから、『旭十一面観音』を安置して崇拝していた『万灯の長者(旭長者)』にあやかって『万燈桜』と命名し、地権者会が大切に保護している。万燈桜の命名は、平成八年四月史跡保存陳情の時