忍者ブログ

福島盆地から山越えて

福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。        takakan

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

合戦場のしだれ桜 (二本松市岩代町)

合戦場のしだれ桜(かっせんば)2009年4月16日
今年は、見るのが遅かったようで盛りを過ぎた感がありますね。

合戦場(かっせんば)の地名は通称で、国道459号の左右のこの辺一帯の高台をいつごろからかそう呼んでいました。平安後期の無精源義家(八幡太郎1019~1062)と安部貞任(1019~1063)・宗任(~不詳)兄弟が戦った所と言い伝えられています。昭和62年5月1日岩代町教育委員会より天然記念物の指定を受けた折りに「合戦場のしだれ桜」と命名されました。岩代観光協会パンフレットより)
200年程前に「三春の滝桜」から分けられた子桜「福田寺の糸桜」から分けられた孫桜です。
ちなみに、福島地方裁判所前庭の桜も滝桜の孫桜と言われ、代々の裁判所長に引継ぎされているそうです。

3801bee5.jpg2eeccc10.jpg95a192b9.jpg

PR

〔つづきはこちら〕

信夫山公園の大ケヤキ

信夫山公園下の大(中)ケヤキ
71abfae9.jpg
9a3d5a80.jpgookeyaki.jpg
ケヤキの北側は、空堀(池)の様になっていますが、旧祓川の跡で、現在駒山公園黒沼にあるメガネ橋がここに在りました。この橋は、安永年間(1772~1780年)建造と伝えられます。空石積工法のアーチ橋で両側の中央石には千鶴万亀のレリーフが見られます。

都都古別神社 (棚倉町)

都々古別(和氣)神社(つつこわけじんじゃ)  2009年4月7日
味秬高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)を主祭神とし、大和武尊(ヤマトタケルノミコト)を配祀し、延喜式神名帳で名神大社として記載される古社で、陸奥国一宮とされている。
案内板を見て”なぜここには都々古別神社という2神社があるのか”不思議に思って社務所に伺いました。
馬場の都都古和気神社を上之宮、八槻の都都古別神社を中之宮、茨城県大子町下野宮の近津神社を下之宮としていたのですが、明治6年に、馬場の近津明神が延喜式明神大社の都都古和気神社とされて國幣中社に列せられた時、八槻の近津明神が抗議し、当社こそが「式内社」であり、奥州一宮で、國幣中社に相応しいとの論争が起こり、結果明治18年に両社並立という措置によって國幣中社となったそうです。このような神社を「論社」と言うんだそうです。
社殿の造り、配置もそっくり同じに作られているそうです。見比べてみて下さい。

ちなみに、一宮(いちのみや)とは、

平安時代から中世にかけて行われた社格の一種で、諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力を有することによって、神社の階級的順序が生じ、その首位にあるものが一宮と称し、順次二宮、三宮、四宮等順位を付けていったそうです。

馬場都都古別神社(ばばつつこわきじんじゃ)
福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39

                      随神門
6d4a7691.jpg5fcb1e90.jpgc76d5326.jpg
2ebae594.jpg0fb86172.jpg797c1f24.jpg
     拝殿                             本殿
de2679d2.jpg942de0cd.jpg
128ac248.jpgfc01186f.jpgd5c40f57.jpg

八槻都都古別神社(やつきつつこわきじんじゃ)
福島県白川郡棚倉町大字八槻字大宮224

〔つづきはこちら〕

我が家は花畑 2

2009年4月11日の我が家の庭先
2週間ほど前からウグイスが今年もやってきました。朝6時頃から『ホーホケキョ』と目覚まししてくれます。昨年まではお隣の庭に来ていましたが、今年からは我が家がナワバリの中心となったようです。
6d44fb67.jpg
d19ae48c.jpg7428565d.jpge7123802.jpg

〔つづきはこちら〕

棚倉城跡の大ケヤキ

棚倉城跡の大ケヤキ
内堀のほとり、追手門から本丸に至る道筋に立っている。

樹高:32m、目通り幹囲:9.5m、推定樹齢:600年、福島県指定天然記念物(1976年5月4日指定)
97464c8f.jpeg3ab0820c.jpg12e28889.jpg85b3079f.jpg35a44abb.jpg26a27ef4.jpgc1902d98.jpg

〔つづきはこちら〕

赤舘城趾 (棚倉町)

赤舘城趾公園
2009年4月7日
関ヶ原の戦いの後、立花宗茂が移封され鹿子山の赤舘に城を構えた。
丹羽長重が1624年(寛永元年)二代将軍徳川秀忠の命により亀ケ城(棚倉城)を築城した。
棚倉町内が一望のもとに見渡すことができる。

8d205be5.jpg
fab0182a.jpg
413e692e.jpge5df06c2.jpg

棚倉城趾 (亀ヶ城址)

桜の開花情報
棚倉城趾の桜

2009年4月7日撮影
咲き始めでした。(4月18日、19日に十万石棚倉城まつり)

1622年(元和元年)、常陸国古渡から移封された丹羽長重が、1624年(寛永元年)に近津明神(都々古別神社)を遷宮し、
1627年(寛永4年)その跡地に
棚倉城の築城し、戊辰戦争で落城するまで241年続いた。別名「亀ヶ城」ともいわれる。
d17b6395.jpg60a5f925.jpg0c267173.jpg
437e1888.jpge7446437.jpgc657e05f.jpg

〔つづきはこちら〕

戸津辺の桜 (矢祭町)

桜の開花情報
69be7a69.jpg

2009年4月7日撮影
ほぼ満開に近い状態でした。



とつべのさくら

エドヒガンザクラ、樹高:18m、胸高周囲:6.5m、樹齢:600年


1a397a90.jpg820ad8c1.jpg96404408.jpg

〔つづきはこちら〕

不忘園 (立子山)

不忘園 福島市立子山字上御代手)
県立医大の南:一級市道金沢立子山線を東へ、阿武隈渓をまたぐ上蓬莱橋を渡り、県道大沢・広表線交差点信号を右折(南)
約700m南下左手にある。
不忘園は、立子山村初代村長で県議会議長として活躍した朝倉鉄蔵が造園した。
b0336f6f.jpgea6e1360.jpg863eb903.jpga5583bf6.jpg
園の頂上にある釈迦堂の透かし彫りが素人目だがすばらしいです

〔つづきはこちら〕

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]