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福島盆地から山越えて

福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。        takakan

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あづま運動公園

あづま運動公園北側の田圃の畦に咲く...
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2010.5.30

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しゃくなげの丘 (あづま運動公園)

あづま運動公園のしゃくなげの丘 20010.5.8
約1800株のシャクナゲが植栽されており、今が見頃でとてもきれいです。
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http://happyisland.blog.shinobi.jp/Entry/114/ あづま運動公園 (あじさい2009.7.5)

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須賀川牡丹園

須賀川牡丹園 20010.5.8
今年は低温のため開花が少し遅いようで、ほとんどまだ蕾でした。もうすこしですね。
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1766年(明和3年)当時須賀川で薬種商を営んでいた伊藤祐倫が牡丹の根を薬用とするために苗木を摂津(宝塚市)から
持ち帰り栽培したのが始まりだそうです。昭和7年に国の名勝に指定。約10haの園内に290種、7,000株の牡丹が植栽
されています。

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郡山ユラックス熱海

郡山ユラックス熱海
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登米市歴史散策と油麩丼

登米市歴史資料館巡り
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”みやぎの明治村”といわれる地区で、明治の一時期県庁が置かれていたそうです。
登米は登米(とよま)町を含む9町が合併してできた市ですが、なぜ登米(とめ)なのか不明です。

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伊豆沼 (宮城県)

伊豆沼 ラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)登録で有名な「伊豆沼」サンクチュアリセンターへ行ってきました。福島の自宅から140㎞。
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栗原市と登米市の界にあります。
冬期には、渡り鳥の飛来地として、賑わうのでしょうが。。。今は閑散としています。サンクチュアリセンターの研究員?の方にとても親切に対応していただきました。ありがとうございます。

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高子沼

高子沼
福島市と伊達市保原町との境、県道「福島・保原線」沿いにあって、
一周1.5㎞平坦で快適な散歩コースです。
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~高子沼の歴史~ (案内版より)
 かつて、高子地区の山々は有望な金鉱山でした。
 天正19年(1591年)、伊達政宗たちが豊臣秀吉に伊達郡ほかを召し上げられたとき、次の大名たちからその痕跡を隠すため、土手を築き、
金鉱山精錬所を水底に沈めた時にできた沼が、高子沼の始まりといわれています。
 江戸中期には、高子の篤農家であり儒者であった熊坂覇陵(クマサカハリョウ)が、高子沼周辺などに名勝地20箇所を選び、自ら名前を付け、
漢詩を残しました。 また、高名な画家家谷文晁(カタニブンチョウ)に描かせた20の風景画も残されています。

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小峰城 (白河市)

小峰城 白河市
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小峰城は別名「白河城」と呼ばれ、築城は、南北朝時代の1340年(南朝:興国元年、北朝:暦応3年)に、結城親朝が小峰ヶ岡に築城して
小峰城と名づけたのが始まりとされています。 城主の白河結城氏が、豊臣秀吉の小田原の陣へ参陣しなかった事から奥州仕置により
改易させられ、その後は会津領となって、蒲生氏や上杉氏が城代を置き支配しました。本丸には三重櫓をはじめ櫓門などの建物を配し、
会津若松市の鶴ヶ城などとともに日本100名城にも選定されています。
幕末の戊辰戦争の時には
奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激戦地となり多くの建物が消失し、現在のものは、1991年に復元されました。

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