福島ちょっと散歩---福島県内外の名所・旧跡めぐり。道端のチョット気になる案内看板に誘われて... 天気がいいのに、せっかくの休日なのに、無駄にはしない。そうだ出掛けよう・・・ヒョイッと愛車(55プリウス)に乗って福島盆地から山越えて...。 takakan
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12月3日、歌川国芳を見に郡山市立美術館に行ってきました。まあまあでした。(私、国芳版画は良さが???)
12月6日~12月25日は、作品入替があって、「江戸にスカイツリー?→→東都三ツ股の図」が展示されます。
※12月10日再度「東都三ツ股の図」を見に郡山に行きました。スカイツリーは細い線画で後から付け加えたのでは???
常設展示の中に不思議な絵を発見。
亀井竹二郎(明治12年に23歳で夭折した西洋絵画創生期の画家)油彩画の「懐古東海道五十三駅真景」が驚きの作品。何せ画面が暗い(黒い)。ほとんど黒一色。ぼんやりとした闇の中に浮かぶ人影。目をこらしてみると、脳が認識できたものは見えてくる。不思議な絵画だ。ちょっと癖になりそう
実物は左よりもっともっと真っ黒です。
2011年11月5日
紅葉の棚倉城も趣があるが、桜の城がすばらしいと思います。今年の紅葉狩りも見納めですか...
二代将軍徳川秀忠は、丹羽五郎左衛門長重に命じて、棚倉に平城を築かせた。
長重は案を練り、この地にあった近津神社の神橋境を最適地とし、宮を現在の馬場都々古和気神社に移し、寛永2年、この地の築城をはじめた。
寛永4年、長重は白河に移されたが、代わって滋賀県近江山城より内藤豊前守信照が城主となった。阿部美作守正静の代になり、戊辰戦争の兵火にかかり、慶応4年6月24日落城した。この間250年、城主の代わること16代であった。 -棚倉町・棚倉町観光協会-
この大ケヤキは、寛永二年(1624年)丹羽五郎左エ門長正公が築城する以前からこの地に存在したといわれ、近津明神の社木であり、樹齢は600年達するものと推定されています。この大ケヤキは県内でもまれに見るケヤキの大木で有り、その風格においては右にでるものはありません。
根回りは13メートル、二個の瘤のある周囲は9.5メートルであり、樹高は32.3メートルです。
なお、町では先人が育んできた歴史の生き証人である大ケヤキを永く後世に継承するため、樹木の保護及び生育環境を整備するとともに、景観にも配慮した交差点の改良工事を平成14年度に施工いたしました。 -棚倉町-